
ヒストリー
1990年の創業以来、一貫して米国から日本への車両輸出を手がけてきてほぼ四半世紀、その間、9th Circuit, Inc.は輸出車両の目まぐるしいトレンドの移り変わりを見て歩んで参りました。そしてこれからも、我々は更に未来を見つめて活動を続けています。
9th Circuit, Inc. High Performance Exports の歩み
当社の四半世紀の歩みをいまこうして振り返ると、流行の移り変わりを含めて、 節目節目で時代の流れが変わっているという事を感じます。そして日本のそれは、やはり米国や他の国々よりも遥かに早く動いており、日本という国の個性を感じずにはいられません。
代表の中坂は日本時代、国家2級整備士資格を有し、大手自動車メーカー整備士を経て、渡米後も整備士経験を積みながら、パーツや車両の日本への輸出を開始しました。
日本で最初にアメ車ブームの火付け役になった自動車雑誌で、黄色い表紙がトレードマークであった「DAYTONA」マガジンには、1991年7月創刊号から当時の中坂が整備やカスタムをして日本に送り出した車両が満載でした。創刊号の見開きで特集されているめちゃくちゃカッコいい赤の67年カマロは、エンジンの大型オイルパンがあまりにも地面スレスレで船に乗せる事が出来なかった為、車高を稼げる純正のオイルパンに換えて再度シッピングというエピソードもまるで昨日のように思い出します。
90年代前半
このように、1990年代前半にはシボレーやフォード、そしてモパー系などの60~70年代のアメリカンマッスルカー、そしてコルベット、カマロ、トランザムなどは80年代~90年代のマッスルカーを数多く送り出しました。同時に当時はアストロバンが人気を集めていた時代で、ロアードなどのカスタムが施された車両が人気でした。その後、90年代中盤よりカプリスワゴンのカスタムやC1500ピックアップトラックのカスタムも流行。アメリカの人気雑誌「TRUCKIN MAGAZINE」や「SPORTS TRUCK MAGAZINE」などの表紙を飾ったそれらの多くの車両も、日本への旅立ちをお手伝いさせて頂きました。
また、特に60年代のクラシックメルセデスの様に流行に左右されず息の長い人気を保っている車両や、30~50年代の古い米車なども、息長くお手伝いさせて頂いているジャンルであります。
90年代後半〜2000年前半
90年代後半からは、当社が元々得意としていたジャンルである、オールドシボレーなどを中心としたローライダー車両が人気を独占しました。当社が最初にインパラを日本に送りはじめたのは90年代初頭に63年インパラコンバーチブルが最初ですが、そういった年式のインパラはこの頃になると一つのムーブメントとなり、キャデラック・クーペデビルや2ドアブロアム、最終型のブロアム・キャデラック(通称ビッグブロアム)、87年までのカプリスクーペ、モンテカルロ、ビューイック・リーガルなどと共に一つの時代を築きました。この時代はラップやヒップホップが流行し始めた頃と重なり、音楽とファッション、そして車もファッションの一部となって行く日本の若者の90年代の文化的な流れが密接に関わっていると感じます。
また、当社代表である中坂のロサンゼルスに精通した知識と経験から、当時、このジャンルに憧れる若者の人気を独占していた自動車雑誌「ローライダーマガジンJapan(芸文社)」のロサンゼルス特集の現地取材案内は常に通訳及び現地案内としてお手伝いさせて頂く事になり、後には取材記事やコラム連載など、同雑誌が終了されるまでの間、長いお付き合いをさせて頂きました。
ローライダーに集中していた時代はハプニングの連続で、業務中に銃を突き付けられて車両を強奪された事も一度や二度ではありませんでした。ローマガさんの取材中も、記事には出来ない様なエピソードが沢山ありました。そういうエピソードは、また機会がある時にでもご紹介させて下さい。ちなみに盗まれた車両は通常、発見される事は無いのですが、当社は運良く、全てのケースで短期間で発見致しました。単身で渡米して以来、好きな車に携わりつつ作った人脈に感謝をした瞬間でもありました。
2000年代中盤〜現在
2000年代中盤から後半にかけてはSUVの台頭が一つの大きな流れでした。時を同じくしてキャデラックもエスカレードを発表するなど、アメリカの主要メーカーが次々とラグジュアリーなSUVを発表し、アメリカンマッスルからの流れのアメ車好きな人たちとは別に、ローライダーからの流れを汲むラグジュアリー系統を追求する人たちの様な、他方のジャンルからSUVに流れるルートが有った事が一つの大きな流れに繋がった原因ではないかと分析します。また、多くのユーザー様たちは90年代から続いたオールドカーブームによる古い車の流れに対して、新鮮な空気を求めていたという部分も有ったのではないでしょうか。
その後、クライスラーが乗用車クラスの300やマグナムを発表、そして、90年代に流行した60年代マッスルカーのシルエットをそのまま受け継いだ、俗に「ネオ・マッスル」と呼ばれるカマロ、マスタング、チャージャー、チャレンジャーなどの
車たちが各社から競うように発表となり「アメリカンマッスル」が、形を変えずに世代を超えて復活してきているのが現在のアメ車シーンでもあります。
同時に当社では、ランボルギーニやマセラッティーなどのエキゾチックカーの日本への輸出も頻繁に行っており、アメリカ車に限らず、輸出の流れを見続けています。 現在の我々は、このような流れの上に立っています。歴史は未来を築く為に学ぶものである様に、過去四半世紀の当社の経験を、これからのアメリカと日本間のオートモーティブシーンの発展に、是非とも貢献し、皆様のお役に立てる会社でありたいと考えております。